「わたし以外のだれかがいないような家なら、わたしもいなくてもいいんじゃないの?」

「だれもいない、わたしもいない、だれも気づかない」

「でも最近のウチの家族は、お父さん、お母さん、わたし、って3人で並んでもいない。
 ドミノは1枚ずつ離れて置かれて、夜になったら勝手にばったり、ベッドに倒れるだけ」

「他のドミノの背中を感じることはない。知ってるのは硬いベッドの感触だけだった」

「わたしは今でも子供だけど、もっと子供だった時の自分はどんどん、失われていっている」

「家出までして、いつか大人になったときに残るのは小さな思い出の欠片だけ。
 そのときのわたしが持っていたものは、なにも残らない。脱皮して皮を捨てちゃうように」

「子供のわたしは、どんどんと別の子供のわたしになっていく」

「心は勝手に大事じゃない、どうでもいいと決めつけたものを掃除してしまう。
 一体どこへそれを捨ててしまうのか、自分の中のどこを探しても、それは見つからない」

「家族でも、血がつながった子供でも、お母さんが相手でも。
 言葉にしなければ分からないことはいくらでもある。
 だけどお互いの気持が分かったらきっと、今よりもこじれてしまう」

「お母さんたちになにかを期待するわけじゃなくて、ただ家から逃げたいっていう思い。
 その行動ではなにも変わらなくても、
 日々古いものを捨てて新しくなっている自分がなにかを見つけるまでの、時間稼ぎ」

「どんどんと、やっぱりわたしは別のわたしになっているんだ。
 もしかしたら水面に飛びこんで、外へ出たとき。
 わたしはとても良く似た、別の世界へ飛び出したのかもしれない。
 それもいいなぁ、と思う」

「最近大変なことに気づいたんだけど、
 僕たちはあと七十年も経ったら非常に高い確率で死んでしまう。
 つまり僕にとって、地球の寿命はあと七十年ということだ」

「さっきの地球の話に絡めれば、ソウが僕より先に亡くならないでほしいと願う。
 それは寂しさとソウの存在を天秤にかければ偽りのない想いだ。
 だけど僕が先に死んだら、その後はソウが一人で生きていくわけでそれも辛い。
 僕の地球は終わっても、ソウの地球はまだ宇宙のどこかにあるのだ。
 目をつむっても、触れられるものがそこら中にあるように」

「それに多分、この幸福とお金がイコールになっているのは、若い内だけなんだと思う」

「人間には数式で測れない、国語の領域がある。ありがちだけど心だ。
 身体がある期を境に衰えていくように、心も衰弱していく。
 そして老衰した心は、
 お金=幸せの図式を成立させるために途中に変換を挟む必要が出てくる」

「それは孫とか小遣いに群がる人とか、まとめると大抵、自分以外のだれか。
 他人が必要になってくる。
 どんな理由であっても、自分の側に来てくれて、相手をしてくれる人を求めるようになる」

「一緒にいたいってのはなるほど、愛情かもしれない。
 だったら一緒にいない父親には愛情を持っていないってことか?
 成人するまで子供を育てれば、
 家族間での愛情の有無は自主性に重んじてしまっていいという、
 この世のルールがあったりするんだろうか」

「形が掴めず、愛から送られてくる攻撃とか波動の正体も掴めないまま、
 それでも僕らはそんなものにすがって子孫を残し、そんなもののために一生をかける。
 すげー。愛はギャンブルだ。
 時間をチップにして、僕らは望む形のそれが見つかると信じて人生を消費している」

「そう言う父親の、本心からの歓喜と満足に覆われた顔つきなんて何年ぶりに見るだろう。
 僕はそういう顔が、
 家族以外のだれかからもたらされる父親の生活に、どこか安心するものがあった。
 だれもいない地球で生きているわけじゃないみたいだから」

「家族に『帰るのか?』って聞かれると妙な気分になるものだ。
 幸せだった、子供の僕にとっての家族がいた時代と今を比較して、寂しさも芽生える」

「子供じゃない僕はだれにも叱られないのだから、自分で戒めないといけない」

「お金を失うことは幸せでもないが、取り立てて嘆くほどの不幸でもない。
 もらった、という事実だけで十分なんだろう」

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