六百六十円の事情
2010年6月23日 感銘を受けた言葉・考えた事「わたし以外のだれかがいないような家なら、わたしもいなくてもいいんじゃないの?」
「だれもいない、わたしもいない、だれも気づかない」
「でも最近のウチの家族は、お父さん、お母さん、わたし、って3人で並んでもいない。
ドミノは1枚ずつ離れて置かれて、夜になったら勝手にばったり、ベッドに倒れるだけ」
「他のドミノの背中を感じることはない。知ってるのは硬いベッドの感触だけだった」
「わたしは今でも子供だけど、もっと子供だった時の自分はどんどん、失われていっている」
「家出までして、いつか大人になったときに残るのは小さな思い出の欠片だけ。
そのときのわたしが持っていたものは、なにも残らない。脱皮して皮を捨てちゃうように」
「子供のわたしは、どんどんと別の子供のわたしになっていく」
「心は勝手に大事じゃない、どうでもいいと決めつけたものを掃除してしまう。
一体どこへそれを捨ててしまうのか、自分の中のどこを探しても、それは見つからない」
「家族でも、血がつながった子供でも、お母さんが相手でも。
言葉にしなければ分からないことはいくらでもある。
だけどお互いの気持が分かったらきっと、今よりもこじれてしまう」
「お母さんたちになにかを期待するわけじゃなくて、ただ家から逃げたいっていう思い。
その行動ではなにも変わらなくても、
日々古いものを捨てて新しくなっている自分がなにかを見つけるまでの、時間稼ぎ」
「どんどんと、やっぱりわたしは別のわたしになっているんだ。
もしかしたら水面に飛びこんで、外へ出たとき。
わたしはとても良く似た、別の世界へ飛び出したのかもしれない。
それもいいなぁ、と思う」
「最近大変なことに気づいたんだけど、
僕たちはあと七十年も経ったら非常に高い確率で死んでしまう。
つまり僕にとって、地球の寿命はあと七十年ということだ」
「さっきの地球の話に絡めれば、ソウが僕より先に亡くならないでほしいと願う。
それは寂しさとソウの存在を天秤にかければ偽りのない想いだ。
だけど僕が先に死んだら、その後はソウが一人で生きていくわけでそれも辛い。
僕の地球は終わっても、ソウの地球はまだ宇宙のどこかにあるのだ。
目をつむっても、触れられるものがそこら中にあるように」
「それに多分、この幸福とお金がイコールになっているのは、若い内だけなんだと思う」
「人間には数式で測れない、国語の領域がある。ありがちだけど心だ。
身体がある期を境に衰えていくように、心も衰弱していく。
そして老衰した心は、
お金=幸せの図式を成立させるために途中に変換を挟む必要が出てくる」
「それは孫とか小遣いに群がる人とか、まとめると大抵、自分以外のだれか。
他人が必要になってくる。
どんな理由であっても、自分の側に来てくれて、相手をしてくれる人を求めるようになる」
「一緒にいたいってのはなるほど、愛情かもしれない。
だったら一緒にいない父親には愛情を持っていないってことか?
成人するまで子供を育てれば、
家族間での愛情の有無は自主性に重んじてしまっていいという、
この世のルールがあったりするんだろうか」
「形が掴めず、愛から送られてくる攻撃とか波動の正体も掴めないまま、
それでも僕らはそんなものにすがって子孫を残し、そんなもののために一生をかける。
すげー。愛はギャンブルだ。
時間をチップにして、僕らは望む形のそれが見つかると信じて人生を消費している」
「そう言う父親の、本心からの歓喜と満足に覆われた顔つきなんて何年ぶりに見るだろう。
僕はそういう顔が、
家族以外のだれかからもたらされる父親の生活に、どこか安心するものがあった。
だれもいない地球で生きているわけじゃないみたいだから」
「家族に『帰るのか?』って聞かれると妙な気分になるものだ。
幸せだった、子供の僕にとっての家族がいた時代と今を比較して、寂しさも芽生える」
「子供じゃない僕はだれにも叱られないのだから、自分で戒めないといけない」
「お金を失うことは幸せでもないが、取り立てて嘆くほどの不幸でもない。
もらった、という事実だけで十分なんだろう」
「だれもいない、わたしもいない、だれも気づかない」
「でも最近のウチの家族は、お父さん、お母さん、わたし、って3人で並んでもいない。
ドミノは1枚ずつ離れて置かれて、夜になったら勝手にばったり、ベッドに倒れるだけ」
「他のドミノの背中を感じることはない。知ってるのは硬いベッドの感触だけだった」
「わたしは今でも子供だけど、もっと子供だった時の自分はどんどん、失われていっている」
「家出までして、いつか大人になったときに残るのは小さな思い出の欠片だけ。
そのときのわたしが持っていたものは、なにも残らない。脱皮して皮を捨てちゃうように」
「子供のわたしは、どんどんと別の子供のわたしになっていく」
「心は勝手に大事じゃない、どうでもいいと決めつけたものを掃除してしまう。
一体どこへそれを捨ててしまうのか、自分の中のどこを探しても、それは見つからない」
「家族でも、血がつながった子供でも、お母さんが相手でも。
言葉にしなければ分からないことはいくらでもある。
だけどお互いの気持が分かったらきっと、今よりもこじれてしまう」
「お母さんたちになにかを期待するわけじゃなくて、ただ家から逃げたいっていう思い。
その行動ではなにも変わらなくても、
日々古いものを捨てて新しくなっている自分がなにかを見つけるまでの、時間稼ぎ」
「どんどんと、やっぱりわたしは別のわたしになっているんだ。
もしかしたら水面に飛びこんで、外へ出たとき。
わたしはとても良く似た、別の世界へ飛び出したのかもしれない。
それもいいなぁ、と思う」
「最近大変なことに気づいたんだけど、
僕たちはあと七十年も経ったら非常に高い確率で死んでしまう。
つまり僕にとって、地球の寿命はあと七十年ということだ」
「さっきの地球の話に絡めれば、ソウが僕より先に亡くならないでほしいと願う。
それは寂しさとソウの存在を天秤にかければ偽りのない想いだ。
だけど僕が先に死んだら、その後はソウが一人で生きていくわけでそれも辛い。
僕の地球は終わっても、ソウの地球はまだ宇宙のどこかにあるのだ。
目をつむっても、触れられるものがそこら中にあるように」
「それに多分、この幸福とお金がイコールになっているのは、若い内だけなんだと思う」
「人間には数式で測れない、国語の領域がある。ありがちだけど心だ。
身体がある期を境に衰えていくように、心も衰弱していく。
そして老衰した心は、
お金=幸せの図式を成立させるために途中に変換を挟む必要が出てくる」
「それは孫とか小遣いに群がる人とか、まとめると大抵、自分以外のだれか。
他人が必要になってくる。
どんな理由であっても、自分の側に来てくれて、相手をしてくれる人を求めるようになる」
「一緒にいたいってのはなるほど、愛情かもしれない。
だったら一緒にいない父親には愛情を持っていないってことか?
成人するまで子供を育てれば、
家族間での愛情の有無は自主性に重んじてしまっていいという、
この世のルールがあったりするんだろうか」
「形が掴めず、愛から送られてくる攻撃とか波動の正体も掴めないまま、
それでも僕らはそんなものにすがって子孫を残し、そんなもののために一生をかける。
すげー。愛はギャンブルだ。
時間をチップにして、僕らは望む形のそれが見つかると信じて人生を消費している」
「そう言う父親の、本心からの歓喜と満足に覆われた顔つきなんて何年ぶりに見るだろう。
僕はそういう顔が、
家族以外のだれかからもたらされる父親の生活に、どこか安心するものがあった。
だれもいない地球で生きているわけじゃないみたいだから」
「家族に『帰るのか?』って聞かれると妙な気分になるものだ。
幸せだった、子供の僕にとっての家族がいた時代と今を比較して、寂しさも芽生える」
「子供じゃない僕はだれにも叱られないのだから、自分で戒めないといけない」
「お金を失うことは幸せでもないが、取り立てて嘆くほどの不幸でもない。
もらった、という事実だけで十分なんだろう」
ICQ
2008年1月28日 感銘を受けた言葉・考えた事ICQのログで2003年3月とかそんな代物が大量に残ってるんだけど、
とてもじゃないけど恐ろしくて見れない。
万が一ネット上に流出するようなことがあったら悶死すること確実。
ちなみにICQで受信したファイルに関しては1999年1月とかからある。
その頃の写真とかイラストとか見せられたら
これまた悶死する人いると思う。
あーでも
かずは2000年に描いた神奈のイラストとか
仁は2000年に描いたアムロとか
流樹は2000年に描いた京@KOFとか
桔梗は2002年に描いたラフスケッチ180枚とか
そんなのしかなかったから全然大丈夫だよ!
……しかし、こうしてみると色々勿体無いなぁ。
いや、表に出したらまず間違いなく殺されるので
絶対に表には出しませんが!!
というか殺されるのならまだいいけど絶縁されたら本気でかなわん。
とてもじゃないけど恐ろしくて見れない。
万が一ネット上に流出するようなことがあったら悶死すること確実。
ちなみにICQで受信したファイルに関しては1999年1月とかからある。
その頃の写真とかイラストとか見せられたら
これまた悶死する人いると思う。
あーでも
かずは2000年に描いた神奈のイラストとか
仁は2000年に描いたアムロとか
流樹は2000年に描いた京@KOFとか
桔梗は2002年に描いたラフスケッチ180枚とか
そんなのしかなかったから全然大丈夫だよ!
……しかし、こうしてみると色々勿体無いなぁ。
いや、表に出したらまず間違いなく殺されるので
絶対に表には出しませんが!!
というか殺されるのならまだいいけど絶縁されたら本気でかなわん。
やりたいことを見つけるのなら
2007年2月7日 感銘を受けた言葉・考えた事自分のやりたいことが見つかるまで、と若い子たちは言う。
けれども、
その「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎの数年間で、
どれだけ損失を重ねることになるのか、想像できていない。
数年間フリーターをやっても、履歴書には経歴はつかない。
その人の仕事人生に、明確なキャリアパスはつかない。
次に転職する時に、
人事の人をはっとさせるキャリアパスも経歴も残せない。
数年間の間に、確実に年はとる。
歳をとればそれだけ労働市場で価値を失ってしまう。
「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎをしているうちに、
自分の価値を貶めてしまうわけだ。
いきなり社会に出ていくのは怖いけれど、人生は所詮、虎穴。
飛び込むのに怖さがないはずがない。
恐れて無為徒食を重ねても、やりたいことは遠のくだけだ。
拱手するだけでは、やりたいことが見つかりづらくなるどころか、
かえって己の労働的価値を損じるだけである。
社会には、学校よりももっと成長の可能性が秘められている。
無駄に思えること、損失に思えることにも、
必ず成長と成功の因子がある。
それは学校では経験できないことだ。
だから、やりたいことを見つけたい人は、
なおさら社会に飛び込んだらどうだろう、と鏡は思う。
「飛び込んだ」という行動そのものが、
見つけるための手がかりになっていくことだってあるのだから。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
けれども、
その「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎの数年間で、
どれだけ損失を重ねることになるのか、想像できていない。
数年間フリーターをやっても、履歴書には経歴はつかない。
その人の仕事人生に、明確なキャリアパスはつかない。
次に転職する時に、
人事の人をはっとさせるキャリアパスも経歴も残せない。
数年間の間に、確実に年はとる。
歳をとればそれだけ労働市場で価値を失ってしまう。
「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎをしているうちに、
自分の価値を貶めてしまうわけだ。
いきなり社会に出ていくのは怖いけれど、人生は所詮、虎穴。
飛び込むのに怖さがないはずがない。
恐れて無為徒食を重ねても、やりたいことは遠のくだけだ。
拱手するだけでは、やりたいことが見つかりづらくなるどころか、
かえって己の労働的価値を損じるだけである。
社会には、学校よりももっと成長の可能性が秘められている。
無駄に思えること、損失に思えることにも、
必ず成長と成功の因子がある。
それは学校では経験できないことだ。
だから、やりたいことを見つけたい人は、
なおさら社会に飛び込んだらどうだろう、と鏡は思う。
「飛び込んだ」という行動そのものが、
見つけるための手がかりになっていくことだってあるのだから。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
大人になるってつまらない
2006年7月31日 感銘を受けた言葉・考えた事確かに 子供の頃は 楽しいことが
むこうから どんどん やってくるわ
でもね いつも いっぱい いっぱい
大人になれば それまで 見えなかった
素敵な世界に 気づくことが できる
いつも いつでも いつまでも
どこでも どんなことでも どこまでも
自分の心ひとつで 自由自在の 変幻自在で 楽しめるのよ
素敵な 大人になれば いつもただ待って いるだけじゃない
魔法をかけて 祝福の魔女 自身にだって なれるのよ
−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
ARIA【Navigation47 エピファニア】 より
読んでいなくても意味が通るように改変して掲載。
なんだろう。
今までARIAからは色々なモノをもらっていて、
それには過去だけではなく未来ももちろん含まれているんだけど、
“大人”というのはすごく新鮮だった。
“先(未来)へ進む”ということと“大人になる”ということは
似ているようでひどく違うんだな。
大人になろう、ボクも。
−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
↑の状態だと原作の足元にも及ばないので
少しでも感じ入ることがあれば原作を読んでみてください。
むこうから どんどん やってくるわ
でもね いつも いっぱい いっぱい
大人になれば それまで 見えなかった
素敵な世界に 気づくことが できる
いつも いつでも いつまでも
どこでも どんなことでも どこまでも
自分の心ひとつで 自由自在の 変幻自在で 楽しめるのよ
素敵な 大人になれば いつもただ待って いるだけじゃない
魔法をかけて 祝福の魔女 自身にだって なれるのよ
−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
ARIA【Navigation47 エピファニア】 より
読んでいなくても意味が通るように改変して掲載。
なんだろう。
今までARIAからは色々なモノをもらっていて、
それには過去だけではなく未来ももちろん含まれているんだけど、
“大人”というのはすごく新鮮だった。
“先(未来)へ進む”ということと“大人になる”ということは
似ているようでひどく違うんだな。
大人になろう、ボクも。
−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−
↑の状態だと原作の足元にも及ばないので
少しでも感じ入ることがあれば原作を読んでみてください。
そんなことより>>1よ、次のような銀行があると考えてくれ。
2005年10月24日 感銘を受けた言葉・考えた事その銀行は、 毎朝お前の口座へ86,400円を振り込んでくれる。同時に、
その口座の残高は毎日ゼロになる。つまり、 86,400円の中で、
お前がその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまうわけだ。
守銭奴のお前ならどうする?もちろん、毎日86,400円全額を引き出すよな。
オレたちは一人一人が同じような銀行を持っている。それは時間だ。
毎朝、お前には86,400秒が与えられる。
毎晩、お前が上手く使い切らなかった時間は消されてしまうんだよ。
それは、翌日には繰り越されない。貸し越しもできない。
毎日、お前の為に新しい口座が開かれる。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまう。
もし、お前がその日の預金を全て使い切らなければ、
お前はそれを失ったことになる。過去にさかのぼることはできない。
お前は今日与えられた預金のなかから今を生きないといけない。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしろ。
そして、そこから成功のために最大の物を引き出せ。
時計の針は走り続けている。今日という日に最大限の物を作り出しなさいってこった。
[2ch]カーネギーから】喪男が感動した名言2【タモリまで】 @モテない男性
http://s03.2log.net/home/hopeless/archives/blog285.html [
その口座の残高は毎日ゼロになる。つまり、 86,400円の中で、
お前がその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまうわけだ。
守銭奴のお前ならどうする?もちろん、毎日86,400円全額を引き出すよな。
オレたちは一人一人が同じような銀行を持っている。それは時間だ。
毎朝、お前には86,400秒が与えられる。
毎晩、お前が上手く使い切らなかった時間は消されてしまうんだよ。
それは、翌日には繰り越されない。貸し越しもできない。
毎日、お前の為に新しい口座が開かれる。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまう。
もし、お前がその日の預金を全て使い切らなければ、
お前はそれを失ったことになる。過去にさかのぼることはできない。
お前は今日与えられた預金のなかから今を生きないといけない。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしろ。
そして、そこから成功のために最大の物を引き出せ。
時計の針は走り続けている。今日という日に最大限の物を作り出しなさいってこった。
[2ch]カーネギーから】喪男が感動した名言2【タモリまで】 @モテない男性
http://s03.2log.net/home/hopeless/archives/blog285.html [
エンターテインメントの宿命
2005年9月10日 感銘を受けた言葉・考えた事エンターテインメントを作っていると、ひとつの疑問にぶつかることになる。
汝は何者か。
それは自分は何者かという問いである。
問いの答えは、単純なものだ。
我は我である。
「我は我である」というのは、単なるトートロジーではない。
「我は我である」とは、
「自分が世界60億のたった1人であり、
何かが秀でているといっても所詮お遊び程度、
厳密に考えていくと絶対他人にはない部分、
自分にしかない部分というのがなく、
勿論世界の偉人級に格別際立っているものがあるわけでもなし、
どんなに自分が変わっているとか思ってみても
結局自分は大衆に埋没したちっぽけな存在、
ほとんどサハラ砂漠の中の1粒の砂粒のような存在でしかなく、
存在しようと存在しまいと変わらないほど希薄で意味のない存在にすぎない」
と自分の卑小さ、存在の薄さを認識しながらも、
「しかし、その無に近い状態でも自分という人間はたった一人しかない。
どんなにいないように思えても、自分が存在しているということに意味がある。
自分の属性ではなく、自分の存在自体が世界の中でのオリジナリティなのである」
と悟りを開くことである。
一言でいえば、相対性と絶対性の両局面において自分を捉えきるということ。
自分の相対性と絶対性を理解するということである。
初めてエンターテインメントを作り出した頃は、
作れるという状況に満足してしまう。
しかし、売り上げが出なかったりウケなかったりすると、
違うことを考えるようになってしまう。
果てには、ウケを狙ってしまうということにもなる。
だが、それは本末転倒だ。
鏡も
「できるだけ多くの子たちやファンの子たちを楽しませよう」
とは思うけれど、ウケを狙ってファンに靡こうとは思わない。
ファンは、作家がウケを狙ってくれることを望んでいるわけではないのだ。
純粋に面白いものがほしいだけ、楽しみたいだけなのである。
ウケを狙うことと、楽しませることとは、実は違う。
ウケを狙うことの中には、自分がほめそやされることが入っている。
しかし、楽しませることの中には、自分への賞賛の期待は入っていない。
第一、ウケを狙って靡いてみたところで、
そんな薄っぺらい偽装はすぐ見破られて剥がれてしまう。
30作品も作ってきたからか、
ゲームを企画していてもどんな批判が来るのかは予想できるようになった。
勿論、発売してから予想外の批判が来て、
勉強させられることも多々ある。
ありがたいことである。
そういう批判は謙虚に受け止める。
だが、善意の結果生じる批判については、避けようとも躱そうとも思わない。
多くの人たちに楽しんでもらおうと思って何かを盛り込めば、
そのことによって逆に一部の人たちの批判を巻き起こしてしまう。
それは避けられないことなのだ。
誰かを楽しませれば、宿命的に誰かにつまらない思いをさせてしまう。
それがエンターテインメントの世界なのである。
無知ゆえに生じる批判、
作り手としての未熟さゆえに生じる批判を躱すべく
作品に工夫をするのはよいことであるけれど、
善意の結果生じてしまう批判を躱そうとするのは、本末転倒である。
第一、
鏡は批判を躱すためにゲームをつくったりポルノを書いたりしてるわけではない。
面白くない、と言われることを覚悟しながら、より多くの人に満足してもらおう。
その中で自分のやりたいことを実現してやろう。
そう思ってつくるのが、エンターテインメントの世界だと思う。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
汝は何者か。
それは自分は何者かという問いである。
問いの答えは、単純なものだ。
我は我である。
「我は我である」というのは、単なるトートロジーではない。
「我は我である」とは、
「自分が世界60億のたった1人であり、
何かが秀でているといっても所詮お遊び程度、
厳密に考えていくと絶対他人にはない部分、
自分にしかない部分というのがなく、
勿論世界の偉人級に格別際立っているものがあるわけでもなし、
どんなに自分が変わっているとか思ってみても
結局自分は大衆に埋没したちっぽけな存在、
ほとんどサハラ砂漠の中の1粒の砂粒のような存在でしかなく、
存在しようと存在しまいと変わらないほど希薄で意味のない存在にすぎない」
と自分の卑小さ、存在の薄さを認識しながらも、
「しかし、その無に近い状態でも自分という人間はたった一人しかない。
どんなにいないように思えても、自分が存在しているということに意味がある。
自分の属性ではなく、自分の存在自体が世界の中でのオリジナリティなのである」
と悟りを開くことである。
一言でいえば、相対性と絶対性の両局面において自分を捉えきるということ。
自分の相対性と絶対性を理解するということである。
初めてエンターテインメントを作り出した頃は、
作れるという状況に満足してしまう。
しかし、売り上げが出なかったりウケなかったりすると、
違うことを考えるようになってしまう。
果てには、ウケを狙ってしまうということにもなる。
だが、それは本末転倒だ。
鏡も
「できるだけ多くの子たちやファンの子たちを楽しませよう」
とは思うけれど、ウケを狙ってファンに靡こうとは思わない。
ファンは、作家がウケを狙ってくれることを望んでいるわけではないのだ。
純粋に面白いものがほしいだけ、楽しみたいだけなのである。
ウケを狙うことと、楽しませることとは、実は違う。
ウケを狙うことの中には、自分がほめそやされることが入っている。
しかし、楽しませることの中には、自分への賞賛の期待は入っていない。
第一、ウケを狙って靡いてみたところで、
そんな薄っぺらい偽装はすぐ見破られて剥がれてしまう。
30作品も作ってきたからか、
ゲームを企画していてもどんな批判が来るのかは予想できるようになった。
勿論、発売してから予想外の批判が来て、
勉強させられることも多々ある。
ありがたいことである。
そういう批判は謙虚に受け止める。
だが、善意の結果生じる批判については、避けようとも躱そうとも思わない。
多くの人たちに楽しんでもらおうと思って何かを盛り込めば、
そのことによって逆に一部の人たちの批判を巻き起こしてしまう。
それは避けられないことなのだ。
誰かを楽しませれば、宿命的に誰かにつまらない思いをさせてしまう。
それがエンターテインメントの世界なのである。
無知ゆえに生じる批判、
作り手としての未熟さゆえに生じる批判を躱すべく
作品に工夫をするのはよいことであるけれど、
善意の結果生じてしまう批判を躱そうとするのは、本末転倒である。
第一、
鏡は批判を躱すためにゲームをつくったりポルノを書いたりしてるわけではない。
面白くない、と言われることを覚悟しながら、より多くの人に満足してもらおう。
その中で自分のやりたいことを実現してやろう。
そう思ってつくるのが、エンターテインメントの世界だと思う。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
あの頃は楽しかった
2005年8月7日 感銘を受けた言葉・考えた事うん あの頃の楽しさに囚われて
今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないもんね。
あの頃は楽しかったじゃなくて
あの頃も楽しかった……よね。
うん。
きっと本当に楽しいことって
比べるものじゃないよね。
あっ でもワンポイントアドバイス。
今―――
楽しいと思えることは
今が一番楽しめるのよ。
だから いずれは変わっていく今を
この素敵な時間を大切に ね。
【ARIA】
今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないもんね。
あの頃は楽しかったじゃなくて
あの頃も楽しかった……よね。
うん。
きっと本当に楽しいことって
比べるものじゃないよね。
あっ でもワンポイントアドバイス。
今―――
楽しいと思えることは
今が一番楽しめるのよ。
だから いずれは変わっていく今を
この素敵な時間を大切に ね。
【ARIA】
BE(なる)-DO(する)-HAVE(もつ)
2005年8月2日 感銘を受けた言葉・考えた事BE(なる)-DO(する)-HAVE(もつ)
「目標は、この三つの言葉のうち『持つ』の部分です。
スタイルがよくなりたい、恋人や配偶者といい関係を持ちたい、
あるいは百万ドル欲しい、健康を保ちたい、名声を得たい。
こういった目標はどれも何かを『持ちたい』ということです。
たいていの人は自分が何かを持ちたいかを決める、
つまり目標を決めると、次にそのために何をすべきか、リストを作り始めます。
手帳に『やるべきこと』をいろいろ書き付ける人もいるでしょう。
みんな目標を定めると、次にその為に何かをやり始めます」
「理想的な身体がほしいと思ったとき、
たいていの人はダイエットを始めたり、事務に通い出したりします。
そして、数週間はそれを続けますが、
そのあとは前と同じフライドポテトとピザの食事に戻り、
ジムに行く代わりにテレビで野球を見始めます。
これが、『なる』ことを無視して『する』ことばかりに夢中になった例です」
「やせるために大事なのはダイエットそのものではありません。
ダイエットを継続するためにはどんな自分にならなければいけないか、
それが問題なのです。
それなのに毎年何百万人もの人が、
『かならずやせるダイエット』を求めて血眼になっています。
彼らはどんな人間になるべきかではなく、
何をすべきかばかりに目を向けています。
でも、その人の考え方が変わらなければ、どんなダイエットも効き目はありません」
「スコアを挙げようとしてゴルフクラブを買い換える人がよくいます。
でも、ほんとうにまず必要なのは考え方を変えることです。
そして、プロゴルファーが持っているような
ゴルフに対する姿勢、心構え、信条などを身に着けることです。
クラブをそっくり新しいものに代えたところで、
へたなゴルファーの腕前は変わりません」
「株や投資信託を買えば金持ちになれると思っている人はたくさんいます。
でも、ただ株や投資信託、不動産、
社債・国債を買ったところで金持ちにはなれません。
プロの投資家たちがやっているのと同じことをやるだけでは、
経済的な成功は得られません。
負け犬の思考構造を持っている人は、
どんな株、投資信託、不動産を買おうと負けるに決まっています」
「理想的名相手にめぐり会えるのではないかと期待して、
バーや仕事場、教会などに出かける人はたくさんいます。
これも『する』ことの例です。
彼らはどこかに出かけて
自分にふさわしい相手をさがすことばかり考えています。
自分が相手にとってふさわしい人間に『なる』ことは考えていないのです」
「結婚している多くの人は、
自分達の結婚生活をよりよいものにするために相手を変えようとします。
それでけんかになることもよくあります。
でもほんとうはそれよりまず、自分を変えることの方が大事です。
相手を変えようと努力するのではなく、
相手に対する自分の考え方を変えるのです」
「お金のこととなるとたいていのひとは金持ちと同じことを『しよう』、
同じ物を『持とう』と必死になります。
そして、金持ちが持つような大きな家や車を買い、
金持ちの子供が行く学校に自分の子供を通わせたりします。
その結果、せっせと仕事し、借金をし続けることになります。
でも、ほんとうの金持ちはそんなことはしていません」
【金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント】より
「目標は、この三つの言葉のうち『持つ』の部分です。
スタイルがよくなりたい、恋人や配偶者といい関係を持ちたい、
あるいは百万ドル欲しい、健康を保ちたい、名声を得たい。
こういった目標はどれも何かを『持ちたい』ということです。
たいていの人は自分が何かを持ちたいかを決める、
つまり目標を決めると、次にそのために何をすべきか、リストを作り始めます。
手帳に『やるべきこと』をいろいろ書き付ける人もいるでしょう。
みんな目標を定めると、次にその為に何かをやり始めます」
「理想的な身体がほしいと思ったとき、
たいていの人はダイエットを始めたり、事務に通い出したりします。
そして、数週間はそれを続けますが、
そのあとは前と同じフライドポテトとピザの食事に戻り、
ジムに行く代わりにテレビで野球を見始めます。
これが、『なる』ことを無視して『する』ことばかりに夢中になった例です」
「やせるために大事なのはダイエットそのものではありません。
ダイエットを継続するためにはどんな自分にならなければいけないか、
それが問題なのです。
それなのに毎年何百万人もの人が、
『かならずやせるダイエット』を求めて血眼になっています。
彼らはどんな人間になるべきかではなく、
何をすべきかばかりに目を向けています。
でも、その人の考え方が変わらなければ、どんなダイエットも効き目はありません」
「スコアを挙げようとしてゴルフクラブを買い換える人がよくいます。
でも、ほんとうにまず必要なのは考え方を変えることです。
そして、プロゴルファーが持っているような
ゴルフに対する姿勢、心構え、信条などを身に着けることです。
クラブをそっくり新しいものに代えたところで、
へたなゴルファーの腕前は変わりません」
「株や投資信託を買えば金持ちになれると思っている人はたくさんいます。
でも、ただ株や投資信託、不動産、
社債・国債を買ったところで金持ちにはなれません。
プロの投資家たちがやっているのと同じことをやるだけでは、
経済的な成功は得られません。
負け犬の思考構造を持っている人は、
どんな株、投資信託、不動産を買おうと負けるに決まっています」
「理想的名相手にめぐり会えるのではないかと期待して、
バーや仕事場、教会などに出かける人はたくさんいます。
これも『する』ことの例です。
彼らはどこかに出かけて
自分にふさわしい相手をさがすことばかり考えています。
自分が相手にとってふさわしい人間に『なる』ことは考えていないのです」
「結婚している多くの人は、
自分達の結婚生活をよりよいものにするために相手を変えようとします。
それでけんかになることもよくあります。
でもほんとうはそれよりまず、自分を変えることの方が大事です。
相手を変えようと努力するのではなく、
相手に対する自分の考え方を変えるのです」
「お金のこととなるとたいていのひとは金持ちと同じことを『しよう』、
同じ物を『持とう』と必死になります。
そして、金持ちが持つような大きな家や車を買い、
金持ちの子供が行く学校に自分の子供を通わせたりします。
その結果、せっせと仕事し、借金をし続けることになります。
でも、ほんとうの金持ちはそんなことはしていません」
【金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント】より
二つの言葉
2005年7月28日 感銘を受けた言葉・考えた事「小さな選択の積み重ねが、
結局は自分の生き方を決めていくことになるんだと……」
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書道の先生が
「汚い字を書いてるのは、汚い字を練習している事になる」
と言っていた。
結局は自分の生き方を決めていくことになるんだと……」
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書道の先生が
「汚い字を書いてるのは、汚い字を練習している事になる」
と言っていた。
私はこういうことだけは断じてしないぞ
2005年7月24日 感銘を受けた言葉・考えた事「私はこういうことだけは断じてしないぞ」
と自分で固く心に誓って、厳しく律する人がいる。
なかなか立派な事だ。
しかし、他の人から聞かれもしないのに、
それを自分から口に出すようであれば
そんな人は、人間として一番肝心なことに欠けているのである。
釈迦
と自分で固く心に誓って、厳しく律する人がいる。
なかなか立派な事だ。
しかし、他の人から聞かれもしないのに、
それを自分から口に出すようであれば
そんな人は、人間として一番肝心なことに欠けているのである。
釈迦
親離れということ
2005年4月10日 感銘を受けた言葉・考えた事鏡が思うに、親離れするとは、ただ経済式に自立することではない。
そうではなく、親を一人の人間として捉え直すことである。
親を親として見ている限り、親離れはありえない。
自分の親を、一人の人間としてではなく親として見るということは、
自分と親とを「親−子」という関係性で捉えているということである。
「親−子」の関係性で自分と親を捉える時、
「親」の側にあるのは自分ではなく親である。
「子」の側にあるのは自分である。
つまり、自分は子供側の立場にいると前提しているわけだ。
これは、果たして成熟した大人の態度だろうか?
親の前では、
「自分は子供側」と自分を位置づけてしまう態度は、果たして大人だろうか?
子供側として自分を位置づけるというのきは、
「ぼくは子供です」「まだまだ親の前では子供でいたい」
と主張しているようなものである。
「親−子」で捉えようとすると、
「どうして親はわかってくれないんだ」
「どうして親は、(当然のことを)してくれないんだ」
なんて不満がたまってしまう。
それは、親に甘えているからそうなるのだ。
そういう態度は、親離れとは言い難い。
どんなに経済的に自立したところで、
自分と親とを「親−子」の関係性で捉える限り、親離れにはならない。
親離れするためには、自分と親とを、
「親−子」の関係性、「親−子」の上下関係で捉えるのではなく、対等の人間性として捉えることが必要だ。
親を親として見るのではない。
親を一人の人間として再評価しなおすこと。
一人の人間としての強さと弱さ、長所と短所をクールに見つめ直すこと。
批判するのではなく、いいところも悪いところも含めて再評価すること。
つまり、対等の人間性として見ること。
その視点のなかに、子供としての甘えはない。
親を一人の人間として捉え直すということ。
決して批判しないこと。
批判するのは、
まだ自分の中に子供としての立場、
自分を庇護してくれる親として相手を見ようとする精神が
残っているから起きることである。
人間として、親がどんなレベルなのか。
人間として、親がどんな長所を持ち、どんな短所を持つのか。
それを捉え直すこと。
人間として総合的に捉えること。
そうした視点を得て、
初めて、自動的に自分に襲いかかる「子供としての甘え」から脱却し、
一人の人間として、一人の人間である親を優しい視線で眺められるようになる。
その境地に辿り着いて、初めて親離れしたと言えるようになるのだ。
親に不満を洩らしている限り、親離れはありえないのである。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
そうではなく、親を一人の人間として捉え直すことである。
親を親として見ている限り、親離れはありえない。
自分の親を、一人の人間としてではなく親として見るということは、
自分と親とを「親−子」という関係性で捉えているということである。
「親−子」の関係性で自分と親を捉える時、
「親」の側にあるのは自分ではなく親である。
「子」の側にあるのは自分である。
つまり、自分は子供側の立場にいると前提しているわけだ。
これは、果たして成熟した大人の態度だろうか?
親の前では、
「自分は子供側」と自分を位置づけてしまう態度は、果たして大人だろうか?
子供側として自分を位置づけるというのきは、
「ぼくは子供です」「まだまだ親の前では子供でいたい」
と主張しているようなものである。
「親−子」で捉えようとすると、
「どうして親はわかってくれないんだ」
「どうして親は、(当然のことを)してくれないんだ」
なんて不満がたまってしまう。
それは、親に甘えているからそうなるのだ。
そういう態度は、親離れとは言い難い。
どんなに経済的に自立したところで、
自分と親とを「親−子」の関係性で捉える限り、親離れにはならない。
親離れするためには、自分と親とを、
「親−子」の関係性、「親−子」の上下関係で捉えるのではなく、対等の人間性として捉えることが必要だ。
親を親として見るのではない。
親を一人の人間として再評価しなおすこと。
一人の人間としての強さと弱さ、長所と短所をクールに見つめ直すこと。
批判するのではなく、いいところも悪いところも含めて再評価すること。
つまり、対等の人間性として見ること。
その視点のなかに、子供としての甘えはない。
親を一人の人間として捉え直すということ。
決して批判しないこと。
批判するのは、
まだ自分の中に子供としての立場、
自分を庇護してくれる親として相手を見ようとする精神が
残っているから起きることである。
人間として、親がどんなレベルなのか。
人間として、親がどんな長所を持ち、どんな短所を持つのか。
それを捉え直すこと。
人間として総合的に捉えること。
そうした視点を得て、
初めて、自動的に自分に襲いかかる「子供としての甘え」から脱却し、
一人の人間として、一人の人間である親を優しい視線で眺められるようになる。
その境地に辿り着いて、初めて親離れしたと言えるようになるのだ。
親に不満を洩らしている限り、親離れはありえないのである。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
やりたいことを見つけるのなら
2005年3月22日 感銘を受けた言葉・考えた事自分のやりたいことが見つかるまで、と若い子たちは言う。
けれども、
その「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎの数年間で、
どれだけ損失を重ねることになるのか、想像できていない。
数年間フリーターをやっても、履歴書には経歴はつかない。
その人の仕事人生に、明確なキャリアパスはつかない。
次に転職する時に、
人事の人をはっとさせるキャリアパスも経歴も残せない。
数年間の間に、確実に年はとる。
歳をとればそれだけ労働市場で価値を失ってしまう。
「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎをしているうちに、
自分の価値を貶めてしまうわけだ。
いきなり社会に出ていくのは怖いけれど、人生は所詮、虎穴。
飛び込むのに怖さがないはずがない。
恐れて無為徒食を重ねても、やりたいことは遠のくだけだ。
拱手するだけでは、やりたいことが見つかりづらくなるどころか、
かえって己の労働的価値を損じるだけである。
社会には、学校よりももっと成長の可能性が秘められている。
無駄に思えること、損失に思えることにも、
必ず成長と成功の因子がある。
それは学校では経験できないことだ。
だから、やりたいことを見つけたい人は、
なおさら社会に飛び込んだらどうだろう、と鏡は思う。
「飛び込んだ」という行動そのものが、
見つけるための手がかりになっていくことだってあるのだから。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
けれども、
その「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎの数年間で、
どれだけ損失を重ねることになるのか、想像できていない。
数年間フリーターをやっても、履歴書には経歴はつかない。
その人の仕事人生に、明確なキャリアパスはつかない。
次に転職する時に、
人事の人をはっとさせるキャリアパスも経歴も残せない。
数年間の間に、確実に年はとる。
歳をとればそれだけ労働市場で価値を失ってしまう。
「やりたいことが見つかるまで」の場つなぎをしているうちに、
自分の価値を貶めてしまうわけだ。
いきなり社会に出ていくのは怖いけれど、人生は所詮、虎穴。
飛び込むのに怖さがないはずがない。
恐れて無為徒食を重ねても、やりたいことは遠のくだけだ。
拱手するだけでは、やりたいことが見つかりづらくなるどころか、
かえって己の労働的価値を損じるだけである。
社会には、学校よりももっと成長の可能性が秘められている。
無駄に思えること、損失に思えることにも、
必ず成長と成功の因子がある。
それは学校では経験できないことだ。
だから、やりたいことを見つけたい人は、
なおさら社会に飛び込んだらどうだろう、と鏡は思う。
「飛び込んだ」という行動そのものが、
見つけるための手がかりになっていくことだってあるのだから。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
作家志望の罠
2005年1月19日 感銘を受けた言葉・考えた事「どんな小説を書きたいんですか」
『発見』(幻冬舎文庫)の中で、清水義範氏が面白いことを書いていた。
30才のアマチュア時代のことだ。
「どんな小説を書きたいんですか」
編集者に聞かれて返答に詰まったエピソードが、そこには綴られている。
《その問いに答えられないことに自分でも驚いた。こういうものが書きたいんです、というのが頭の中にないのだ》
《要するに、まだ自分がわかっていなかったのである。自分にはこれができる、というのを掴んでなくて、ただただ、書けるはずだ、とばかり思っていた》
《まず最初に小説家になりたいと思ってしまった人間であるため、何を書きたいのか、自分で掴んでいなかった。それが、なかなか夢のかなわなかった原因なのだ》
(『発見』、幻冬舎文庫)
作家志望のアマチュアが陥る過ち。
10年以上も続く長い長いアマチュア時代を経験した人なら、余計によくわかる。自分も、同じ陥穽に10年以上はまりつづけていただけに、氏の文章が身に沁みた。
最初に小説を書いたのは小学5年生の時。
それから漫画家になろうとありがちな夢を懐いたけれど、中学2年の時にロマン主義時代の小説を読んで、作家になるぞと決心してしまった。以来、とにかく作家になるんだとばかりに20回近く投稿をくり返した。
でも、新人賞を獲ることはできなかった。4次予選まで進んだのが最高で、あとは落選のゴミ。
毎週出されるゴミのごとく、よく出るなあとばかりに落選がくり返される。
なぜなのか、本当はわかっていたはずだった。
都落ちして北大に入学した頃のことだ。最初に参加した先輩たちとの飲み会で、8年生の先輩に聞かれたことがある。
「鏡は、なんで作家になりたいんだ」
答えようとして返答に窮した。
なぜ?
なんでなりたいんだ?
14の時に思い立って、なぜ二十歳になっても、相変わらず作家になりたいと思っているんだろう。
ゲーテ? それは単なるきっかけだ。きっかけは理由ではない。
先輩は、さらに畳みかけてきた。
「鏡は、何を書きたいんだ」
狼狽した。
中身のない自分を言い当てられた焦りがあった。慌てて自分の中を検索してみたが、わかったのは自分が空白ということだった。
書きたいものなんて、一かけらもなかった。
ただ、作家になりたいという気分しか、二十歳の自分にはなかったのだ。
「何か追い求めるものがなければ、作家にはなれないと思う」
先輩は、止めを刺すように言い放った。
脳震盪を起こしたような気分だった。
作家になると決めているくせに書きたいものは何もないという、自己の矛盾を思い知らされたのだ。しかも、それこそが自分がアマチュアでいる理由だった。
はじめから作家になりたいと思ってしまったために、何を書きたいのかという部分が置き去りにされてしまったのだ。
でも、自分は書きたいものを見つけられなかった。いな、真剣に見つけようとはしなかった。
「書きたいこと」から逃げて「書くこと」だけに狂奔した。
多分、怖かったのだと思う。
書きたいものを見つけようとすると、自分には書きたいものがないという事実と対面しなければならない。
自分は何を書きたいのだろう。
書きたいことなんて、何もないじゃないか。
ないのに、なぜ小説を書くんだ? なぜ作家になりたいと思うんだ?
ただのまねっこか、功名心じゃないか。
「自分には書くものなんて存在しない」という真実を認めることは、二十歳の自分には、自分を完全に否定するように思えたのだ。
結果は、18戦18敗。
予選通過はわずか2回。
「書きたいこと」から遠ざかりつづけた、当然の結果だった。
転機が訪れたのは、書きたいものがないことを受け入れてからだ。普通の小説の世界では、自分が訴えたいこと、どうしても書きたいことはない。でも、ポルノなら、叫ばずにいられないことがある。
そう気づいて、初めてアマチュアの枠が外れた。
高校生の時、『りぼん』という少女マンガ誌を読んでいて、愕然としたことがある。
それは、奨励賞を獲った小学校6年生の女の子の、短いインタビューだった。
どんなお話を書きたいですか?
そう問われて、11歳の女の子はこう答えていた。
──みんなが読んで心があったかくなるようなお話を書きたいです。
作家になりたいと思う人。クリエイターになりたい人。
あなたはどうだろうか。
小学6年生の女の子が到達していた地点に、達しているだろうか。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
『発見』(幻冬舎文庫)の中で、清水義範氏が面白いことを書いていた。
30才のアマチュア時代のことだ。
「どんな小説を書きたいんですか」
編集者に聞かれて返答に詰まったエピソードが、そこには綴られている。
《その問いに答えられないことに自分でも驚いた。こういうものが書きたいんです、というのが頭の中にないのだ》
《要するに、まだ自分がわかっていなかったのである。自分にはこれができる、というのを掴んでなくて、ただただ、書けるはずだ、とばかり思っていた》
《まず最初に小説家になりたいと思ってしまった人間であるため、何を書きたいのか、自分で掴んでいなかった。それが、なかなか夢のかなわなかった原因なのだ》
(『発見』、幻冬舎文庫)
作家志望のアマチュアが陥る過ち。
10年以上も続く長い長いアマチュア時代を経験した人なら、余計によくわかる。自分も、同じ陥穽に10年以上はまりつづけていただけに、氏の文章が身に沁みた。
最初に小説を書いたのは小学5年生の時。
それから漫画家になろうとありがちな夢を懐いたけれど、中学2年の時にロマン主義時代の小説を読んで、作家になるぞと決心してしまった。以来、とにかく作家になるんだとばかりに20回近く投稿をくり返した。
でも、新人賞を獲ることはできなかった。4次予選まで進んだのが最高で、あとは落選のゴミ。
毎週出されるゴミのごとく、よく出るなあとばかりに落選がくり返される。
なぜなのか、本当はわかっていたはずだった。
都落ちして北大に入学した頃のことだ。最初に参加した先輩たちとの飲み会で、8年生の先輩に聞かれたことがある。
「鏡は、なんで作家になりたいんだ」
答えようとして返答に窮した。
なぜ?
なんでなりたいんだ?
14の時に思い立って、なぜ二十歳になっても、相変わらず作家になりたいと思っているんだろう。
ゲーテ? それは単なるきっかけだ。きっかけは理由ではない。
先輩は、さらに畳みかけてきた。
「鏡は、何を書きたいんだ」
狼狽した。
中身のない自分を言い当てられた焦りがあった。慌てて自分の中を検索してみたが、わかったのは自分が空白ということだった。
書きたいものなんて、一かけらもなかった。
ただ、作家になりたいという気分しか、二十歳の自分にはなかったのだ。
「何か追い求めるものがなければ、作家にはなれないと思う」
先輩は、止めを刺すように言い放った。
脳震盪を起こしたような気分だった。
作家になると決めているくせに書きたいものは何もないという、自己の矛盾を思い知らされたのだ。しかも、それこそが自分がアマチュアでいる理由だった。
はじめから作家になりたいと思ってしまったために、何を書きたいのかという部分が置き去りにされてしまったのだ。
でも、自分は書きたいものを見つけられなかった。いな、真剣に見つけようとはしなかった。
「書きたいこと」から逃げて「書くこと」だけに狂奔した。
多分、怖かったのだと思う。
書きたいものを見つけようとすると、自分には書きたいものがないという事実と対面しなければならない。
自分は何を書きたいのだろう。
書きたいことなんて、何もないじゃないか。
ないのに、なぜ小説を書くんだ? なぜ作家になりたいと思うんだ?
ただのまねっこか、功名心じゃないか。
「自分には書くものなんて存在しない」という真実を認めることは、二十歳の自分には、自分を完全に否定するように思えたのだ。
結果は、18戦18敗。
予選通過はわずか2回。
「書きたいこと」から遠ざかりつづけた、当然の結果だった。
転機が訪れたのは、書きたいものがないことを受け入れてからだ。普通の小説の世界では、自分が訴えたいこと、どうしても書きたいことはない。でも、ポルノなら、叫ばずにいられないことがある。
そう気づいて、初めてアマチュアの枠が外れた。
高校生の時、『りぼん』という少女マンガ誌を読んでいて、愕然としたことがある。
それは、奨励賞を獲った小学校6年生の女の子の、短いインタビューだった。
どんなお話を書きたいですか?
そう問われて、11歳の女の子はこう答えていた。
──みんなが読んで心があったかくなるようなお話を書きたいです。
作家になりたいと思う人。クリエイターになりたい人。
あなたはどうだろうか。
小学6年生の女の子が到達していた地点に、達しているだろうか。
鏡裕之【乳之書】より
http://blog1.fc2.com/sultan/index.php
考えさせられた言葉
2005年1月1日 感銘を受けた言葉・考えた事子ども電話相談室で
「ヒトはなぜ忘れるのか」
という疑問に対して相談員の言葉
「忘れたい記憶と忘れたくない記憶、どっちが多い?」
「ヒトはなぜ忘れるのか」
という疑問に対して相談員の言葉
「忘れたい記憶と忘れたくない記憶、どっちが多い?」
ルシフェル
2004年8月2日 感銘を受けた言葉・考えた事http://www.try-net.or.jp/~cpc/shohyou/japanism.html
これを読めば日本人というものがどういうものなのか、だいぶ分かるようになります。
一読することをおすすめv
これを読めば日本人というものがどういうものなのか、だいぶ分かるようになります。
一読することをおすすめv
感銘を受けた言葉
2004年7月14日 感銘を受けた言葉・考えた事経済ってのは、より多くの人が幸せになるための計算方法だろ。
幸せになるために金を稼ぐんであって、金を稼いだから幸せになるんじゃない。
品物があったほうが、金があったほうが幸せな奴が多いから、
金を稼ぐことが経済的だって結論になる。
幸せが、金銭に換算できる理由はそこにある。
だから経済学は金銭を計算しているんじゃない。
幸せの量を計算する学問だろ。
僕と僕らの夏
幸せになるために金を稼ぐんであって、金を稼いだから幸せになるんじゃない。
品物があったほうが、金があったほうが幸せな奴が多いから、
金を稼ぐことが経済的だって結論になる。
幸せが、金銭に換算できる理由はそこにある。
だから経済学は金銭を計算しているんじゃない。
幸せの量を計算する学問だろ。
僕と僕らの夏
感銘を受けた言葉
2004年7月4日 感銘を受けた言葉・考えた事「こんなにたくさんの街があって…
こんなにたくさんの人がいるのに……
アタシの居場所はどこにもないんだ」
「あらかじめ用意された居場所なんて誰にだってありませんよ。
甘ったれてはいけません」
企業戦士YAMAZAKI
こんなにたくさんの人がいるのに……
アタシの居場所はどこにもないんだ」
「あらかじめ用意された居場所なんて誰にだってありませんよ。
甘ったれてはいけません」
企業戦士YAMAZAKI
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