負荷

2010年9月8日 るーしぇの日常
スクワット100回やってもだいぶ平気になったので
片足スクワットに移行するか。とりあえず片足20回ずつで。
とかやったら久しぶりに当日から筋肉痛となり
翌日にはまた久しぶりに歩行に支障をきたしていて
そういや筋肉痛ってこんなんだったな……。とか思った。
やっぱり筋トレは回数よりどれだけ適切な負荷かけるかだねぇ。

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「40歳までに知ることになる、22歳の自分に教えてあげたい12のこと」
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100908/1283952482
「とりあえず組織に守られてるうちに
 「なんでもいいから俺が最強」って主張できるようにしといて。
 妥当だと思われる自分の主張は全部強引に通していい。
 恨み買ってもいいよ。あんた友だちいないし、別に欲しくもないでしょ? 
 で、そのうち叩きのめされるから。
 そのときに組織が背後にいないときっついことになるよ。
 勝つ方法をあらかじめ知ったうえで、譲歩する方法、
 負けたときの撤退方法を学習しとくこと。
 ほかの人は知らないけど、俺自身にとってはそれが最良の学習法だと思う」

「ちなみに失敗は即人生の終わりじゃないんで。
 周囲がフォローの手を差し出してきたときには、
 それにつかまること自体が
 組織においてはトータルで利益になるってことだけは覚えとけ。
 それは借りを作ることにならない。
 というより、失敗した時点でもう借りは生じてる。
 失敗したらぐだぐだ言ったってムダなんだわ。
 あとはいかに通常状態に復帰できるかだから。そこ勘違いすんな」

「死んでいい人間はこの世に存在しない。
 ただ生きてるというだけで、その人の存在は社会において「役に立ってしまう」んだ。
 たとえあんたの生がどんだけクソみたいなものであったとしても。
 役に立つことが不可避なのよ。それこそがうざいと感じるあんたの気分はよくわかる。
 わかるんだが、あんたが望んでるような「海辺の時間」みたいなのは永久に実現しねえ」

「どうせあんたにとっては自分の命なんかどうでもいいんだろうから、あえて言ってみた。
 いつか「自分とかどうでもいい」が許されない日は、生きてるだけで必ず来る。
 そのときのショックを乗り越えるためにも、
 自分の存在がどう社会と関わってくるかは知っとけ。
 知ったうえで逃げるのは自由だから」

「10. 友人とのつながり
 あー、切っちゃっていいよ。別に困んないから。あんたが離れたくないと思った人以外は」

「人間と人間はあんがいなかよくしたがってるものであり、
 ただし利害は別扱いってのが現実だ。
 そこんとこをきちんと分けられるのが大人で、
 利害と「なかよくなりたい」をごっちゃにしてるうちは、まあ子供だ。
 そして大人といえども「本当に」分けられる人はあんがい少ない」

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